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街の探検隊:秀吉の天下統一と檜原城落城(檜原村)

2018年6月28日 (街歩き 心の風景)

 秀吉による天下統一は、実質、北条氏の小田原城開城に先んじた八王子城攻略(天正18年6月23日)で完成したとされる。八王子城の城代であった横地監物(よこちけんもつ)は、八王子城落城時、北条氏傘下の平山氏が城主として守っていた檜原城に逃れ、再起を伺った。が、檜原城は落城し、最後の城主平山氏重は千足に逃れ、天正18年7月12日にこの地で自刃し、平山氏終焉となった。この日は小田原城開城後、北条氏照が切腹した翌日にあたる。横地監物はさらに小河内に逃れたが、その地で自刃した。以上が檜原や奥多摩に伝わる話であるが、異説も多い。
 平山氏は源平合戦で大活躍した平山季重(すえしげ)を祖先に持つ。平山城址公園駅あたりが平山氏の故郷である。室町時代に鎌倉公方足利持氏に従い手柄を立て、檜原谷を与えられ、甲斐武田氏に対する押さえとして檜原城を築いたとされる。平山氏は後、北条氏に従い、檜原城は武田氏に備えた北条方最前線の城となった。
 檜原村には平山氏重や檜原城主にまつわるものが残されている。千足の御霊檜原神社は氏重とその子氏久の霊を祀った神社とされる。神社裏手の長泉寺墓地には氏重の墓とされる五輪塔がある。ここから掘り出され、氏重使用のもの伝わる甲冑が檜原村郷土資料館に展示されている。
 檜原城山麓の吉祥寺は檜原城主の館跡とされる。本堂裏手に平山氏石碑といわれる一対の石碑がある。城主とその奥方の墓とされる。

御霊檜原神社

御霊檜原神社(千足)

伝平山氏重墓

伝平山氏重墓(千足)

伝平山氏重甲冑

伝平山氏重甲冑(檜原村郷土資料館)

伝平山氏石碑

伝平山氏石碑(吉祥寺、本宿)

街の探検隊:河原水田の面影、堰上(せきうえ)明神社(福生市)

2018年6月12日 (街歩き 心の風景)

 福生市の北田園(旧福生村)、南田園(旧熊川村)は昭和40年代まで水田が広がっていた場所である。この水田を潤すために種々の取り組みがなされてきた。その一つが永田橋付近での多摩川からの用水引き込みであり、堰上明神社下で堰上げと取水が行われた。取水開始時期は寛政7~8年(1795~96年)とみられている。
 文政8年(1825年)には川崎村(現羽村市)から用水を引いている。川崎村河原水田のための川崎村田用水の流末を貰う形である。取水口は羽村堰で、現市営競技場、かに坂公園、長徳寺下を通り、堰上明神社下の水門から導かれた。昭和22年の台風で長徳寺や堰上明神社下の水路が欠壊するまで、福生・熊川両村の河原水田を潤してきた。
 慶応3年(1867年)に田村家(田村酒造)の生活用水限定で許可された田村分水は、明治8年(1875年)に増水が認められ、田用水としての利用が始まった。田村分水は堰上明神社近辺で川崎村田用水と合流された。
 田用水の維持拡張には多くの尽力が払われてきた。堰上明神社には、田用水改修記念碑が建っている。田用水は合流点の直後で分流し、拝島崖線下に向かったのが車掘(下の川)、水田の多摩川寄りを進んだのが熊川堀であった。かつて車掘・熊川堀の分岐点にあり、流量調整に使われた堰柱が堰上明神社に移されている。車掘、熊川堀の名が刻まれている。
 承応2年(1653年)に開削された玉川上水は、羽村を取水口とする前に、青柳村(国立市)、福生村からの取水を試み失敗したとされる(『上水起元』)。福生村での取水の試みが行われた場所は明確ではないとされるが、この堰上明神社付近というのが有力な説のようだ。『新編武蔵風土記稿』では堰上明神社の由来として、古堰の上に流れ着いたご神体を祀ったという村民の伝えを記している。また『武蔵名勝図会』では堰上明神社付近に玉川上水の古い取水堰があったという住民の伝えを記している。

堰上明神社付近のかつての田用水 (用水の経路は概略。何回か流路変更 があった。)

堰上明神社付近のかつての田用水

散策レポート:昭和記念公園と砂川・西砂川の自然・歴史めぐり

2018年6月12日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コース第3弾は「昭和記念公園と砂川・西砂川の自然・歴史めぐり」。雨天中止もあり5月25日のみの開催となった。
 昭和記念公園では、お目当てであった花の丘を覆うシャーレーポピーは異例の陽気のせいて今年は終了していたが、代わりにブーケガーデンがシャーレーポピーを含め見頃で、参加者から「綺麗!」の声が挙がった。「この季節に来たのは初めて。見られて良かった」(ブーケガーデン)との声が聞こえた。また、睡蓮、花菖蒲も楽しめた。クリスマスローズも残っていた。
 砂川散策では、街道の両側に広い敷地とケヤキが特徴の旧家が点在するかつての五日市街道の面影や、新田開発の生命線であった砂川分水など、この地の魅力を味わった。砂川新田開発は、他の武蔵野新田に先行し、玉川上水開削以前に残堀川の水を利用して始められたこと、残堀川はその後、玉川上水との関係で2度大きな流路変更がなされたこと、高い生垣が長く続く広い敷地を持つ砂川家が、玉川上水通船や中央線敷設に大きく関わったこと、などの情報は、この地の魅力を一層高める情報であったようだ。
 砂川・西砂川ともに、近くを車で良く通るという参加者が多いなか、「ここは初めて入った」(流泉寺、西砂川の阿豆佐味天神社)、「これは始めて見た」(砂川分水、玉川上水と残堀川の立体交差)、「このような良い雰囲気の道があるのは知らなかった」(殿ケ谷緑道)、「なるほど、そういうことだったのか」、という声が複数の方から寄せられた。こうして皆で歩いてこその発見・体験を楽しまれていた様子であった。

昭和記念公園

昭和記念公園

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砂川分水

砂川分水

殿ケ谷緑道

殿ケ谷緑道


昭和記念公園・砂川・西砂川 散策コース

昭和記念公園・砂川・西砂川 散策コース

散策レポート:多摩湖畔・狭山湖畔と周辺の自然・歴史めぐり

2018年6月12日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コース第2弾は「多摩湖畔・狭山湖畔と周辺の自然・歴史めぐり」。4月2日と4日に開催した。全国的に早い桜開花の中、本散策の桜も全体としてはピーク過ぎではあったが、場所や種類によっては、ちょうど見頃のものも多く、春の散策を楽しめた。狭山公園のソメイヨシノは2日は満開。多摩湖自転車道のオオシマザクラ、東村山中央公園のサトザクラなど見頃で楽しめた。
 今回のコースは東京の上水道の歴史の要にあたる場所で、大正13年に羽村取水堰・村山貯水池・境浄水場を結ぶ導水路が完成。その後、山口貯水池、東村山浄水場、小平監視所、小作取水堰が建設。それらを結ぶ導水管が埋まった道の多くは、どこまでも続く真直ぐな遊歩道として知られている。村山貯水池は宅部川、山口貯水池は柳瀬川の上流域の谷戸をダム化したもので、現在もダムの余水吐きがそれらの源流となっている。東村山浄水場は多摩川各所からの原水に加え荒川・利根川水系の原水も集まる場所....。
 狭山不動尊にある3つの重要文化財の門は、徳川家菩提寺である芝増上寺にあった2代将軍秀忠と正室の霊廟のもので、大戦時の空襲に焼け残った。西武グループが土地を取得し、ホテル建設に際し当地に移設したもの。各大名が寄進した1000体に上る灯篭も当地に一時運ばれ、関東のあちこちの寺に引き取られている。何故ここに増上寺と記された石灯篭があるのだろうと、不思議に思っていた参加者も多い....。
 このようなこの地の歴史も楽しみながら、初夏のような一日の散策を楽しんだ。

狭山公園(ソメイヨシノ)

狭山公園(ソメイヨシノ)

多摩湖自転車道(オオシマザクラ)

多摩湖自転車道(オオシマザクラ)

東村山中央公園(サトザクラ)

東村山中央公園(サトザクラ)

多摩湖・狭山湖散策コース

多摩湖・狭山湖散策コース

散策レポート:高尾梅郷と旧甲州街道の自然・歴史めぐり

2018年4月12日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コース第1弾は「高尾梅郷と旧甲州街道の自然・歴史めぐり」。3月12日と14日に開催した。両日とも暖かな天気で、梅もまさに見頃。参加者一同、梅薫る長閑な里山散策を楽しんだ。
 荒井梅林付近は「撮り鉄」人気の場所。遠くに天神梅林を望む。その梅の里の中を丁度、あずさが通過した。関所梅林はサンシュも美しい。参加者は、他にはあまりない景色、と楽しんでいた。遊歩道梅林は大きな古木が並ぶ。川の土手に続く梅並木は珍しい、との参加者の声があった。
 高尾梅郷がある裏高尾は、江戸時代、甲州街道が通った場所。小仏関所跡はじめ街道の面影が点在する。蛇滝口はかつて高尾山へのメインの道であった。そこにかつての旅籠屋「ふじや新兵衛」が残る。ここで噴き出す湧水が、街道に沿って用水として流れている。小仏関所(駒木野関所)は元は小仏峠付近にあった。北条氏照が設置したもので、後に駒木野に移された。JRとクロスする両界橋は駒木野宿の入口に当たる。ふたつの村の境界であるのが名前の由来。そのそばにかつての景勝地「獅子ケ淵」があり、花屋旅館が残る。中里介山の大菩薩峠にも登場する旅館で、介山はここで「隣人学園」を開いていた。獅子ケ淵からは現在も用水が取水されている。かつて甲州街道に沿って八王子宿まで流れていたといわれる....。
 このようなこの地の歴史を楽しみながら、旧甲州街道歴史散策を、梅と合わせて楽しんだ。

荒井梅林

荒井梅林

関所梅林

関所梅林

遊歩道梅林

遊歩道梅林

旧甲州街道

旧甲州街道

高尾梅郷・旧甲州街道散策

高尾梅郷・旧甲州街道散策

福生随一の桜並木のある風景

2018年3月22日 (街歩き 心の風景)

 福生市の「多摩川土手」は桜の名所として広く知られている。五日市線より下流側は確かに多摩川の土手に桜並木が続くが、五日市線より上流の多摩橋(五日市街道)に至る区間(東京法務局西多摩支局付近)は、ちょっと様子が異なる。多摩川の河川敷からは少々離れているのと、河川敷側から、車道、遊歩道、桜並木、一段下がった車道、という形で続く。遊歩道は両側が橋の欄干のような低い柵で区切られていて、その上を桜の古木の枝が覆いかぶさる、という独特の風景を作っている。
 実はこの風景は、桜並木と遊歩道が、かつて、水田の縁に沿った土手であったことの名残である。桜並木の土手と上に玉川上水が流れる崖線の間には、昭和40年代まで水田が広がっていた。北田園、南田園という町名はそれに由来している。また、この遊歩道は一時期、五日市街道の道筋でもあった。現在の福生市はかつての福生村と熊川村が合併してできたものだが、両村の境が五日市街道であった。かつての田園地帯が宅地化に向け区画整理された時、大字福生から分離したのが北田園、大字熊川から分離したのが南田園という訳である。

東京法務局西多摩支局北の道

東京法務局西多摩支局付近の桜並木

現在の桜並木

現在の桜並木

昭和40年台

昭和40年代(*)


(*):昭和41年改測・42年発行、国土地理院2万5千分の1地図(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップon the web」((C)谷譲二氏)により作成したものです。)

散策レポート:八王子城跡と八王子宿西部の歴史・自然めぐり

2018年1月25日 (街歩き 心の風景)

 昨年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コース第10弾は「八王子城跡と八王子宿西部の歴史・自然めぐり」。12月13日と15日に開催した。
 八王子という地名の由来は、後に八王子城本丸ができた深沢山山頂に祀られた牛頭天王を中心とする八王子信仰にある。牛頭天王を祀った八王子権現の別当寺が八王子城域の玄関ともいえる宗関寺の起源。現在の宗関寺は、かつて北条氏照の重臣・横地監物の館があった場所で、明治後期に氏照墓がある場所から移された。宗関寺前は現在も鍵の手状になっているが、かつての城に至る道は、さらに南方に向かい、城山川沿いに進んだ....。というような歴史を共有しながら、再現された曳橋や大きな石で造られた虎口など、八王子城跡めぐりを楽しんだ。
 午後は西八王子駅から八王子駅まで、千人同心縁の地、松姫縁の寺などを巡った。八王子宿の西端に千人同心の根拠地が配置された理由、八王子市が日光市、苫小牧市と姉妹都市になった理由なども再確認し、八王子宿西部の歴史散策を楽しんだ。

八王子城跡ー曳橋

八王子城跡ー曳橋

八王子城-虎口

八王子城-虎口


八王子城跡と八王子宿西部コース

八王子城跡と八王子宿西部コース

皆さまに支えられ5年目に突入! 本年も「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」にご参加ください

2018年1月4日 (街歩き 心の風景)

 2014年にスタートした「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」は、以降、皆様の支持を得てほぼ毎月開催し、本年は5年目に突入することになりました。本年もふるってご参加ください。

●4年間を振り返って
◆参加者は通算約2500名
 2年目からは、新規散策コース(月1コース・各2回)と定番散策コース(月1コース・各1回)の2本立てで開催してきた。定番散策コースは以前開催し好評であったものの再開催。
 4年間の通算で、開催したコース数は37(重複・再開催は数えないで)にのぼり、延べ参加者(新規、定番合わせ)は約2500名となった。
◆参加者間の情報交換も活発
 繰り返しご参加頂ける方が多く、互いに顔なじみとなり、顔を合わせられる楽しみの場となってきているようだ。色々な情報交換も活発で、散策の場以外でのコミュニケーションにも発展している模様。
◆再訪を楽しむ方も多い様子
 当企画で歩いた場所やお昼を頂いたお店に、その後仲間と行った、桜の季節に再訪したが素晴らしかった、というような話を時々聞く。同じコースの企画に再度参加される方も多い。また、桜や紅葉の季節に再度開催して欲しいというご要望もよく頂く。定番散策コースで、前回と異なる季節や秘仏開帳などのイベントに合わせた開催の場合、また違った魅力を味わえた、という声も頂いている。
◆参加の動機は様々
 登山愛好者は足慣らしを兼ねて、歴史愛好家は実地確認の機会として、ウォーキングを日課とされる方はいつもと違ったコースを歩くのもまた良しとして、行ったことのない場所を知る機会として、仲間と歩くコース選びを兼ねて、と、参加の動機は様々な模様。ただ、良い風景の中を歩き、その歴史背景にも触れ、健康の為にもなる、という点は全員共通の楽しみといえそうだ。
◆コース間の繋がりで魅力拡大
 回を重ねるにつれ、過去のコースと歴史的な繋がりが深い新規コースが増えてきて、魅力拡大の相乗効果となっている。例えば、互いに、東山道武蔵道や鎌倉街道上道で結ばれていたり、ともに北条氏照、中山氏、大石氏、平山氏などのゆかりの地であったりと。
  例えば、散策で訪れた府中、国分寺、東村山、高麗、多摩市は、その歴史背景として、東山道武蔵道・鎌倉街道上道を避けては語れない。

梅の香に包まれ

梅の香に包まれ

桜の下を歩き

桜の下を歩き

ツツジ咲く古寺を訪れ

ツツジ咲く古寺を訪れ

恐々乗って

恐々乗って

古道を辿り

古道を辿り

紅葉に心を洗われ

紅葉に心を洗われ

●本年の方針と予定
 本年も、従来同様、新規散策コースと定番散策コースの二本立て開催します。ミニ・ハイキング的なコース、工場見学を含むコース、など、幅を広げた企画を組んでいきたいと思います。
 1月はお休みとし、2月下旬の梅の季節から開始の予定。2、3月は梅の名所、4月は恒例の桜を楽しむコースです。募集は1月下旬から順次、街プレ紙面、街プレ倶楽部サイトから行います。

新規コース(3~4月)

新規散策コース(3~4月)

定番散策コース(2~4月)

定番散策コース(2~4月)

散策レポート:平山城址公園と周辺の自然・歴史めぐり

2018年1月2日 (街歩き 心の風景)

 2017年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コース第9弾は「平山城址公園と周辺の自然・歴史めぐり」。11月29日と12月1日に開催した。かつて平山季重(すえしげ)の館があり、平山氏の故郷とされる平山は日野市。北条氏照を養子に迎えたとされる大石定久の館跡(永林寺、由木城址)とされる由木は八王子市。両市に跨ったコースである。
 今回はちょっとした山道もあり、ミニハイキングと位置づけた。平山季重の墓や坐像がある宗印寺から山道を登り切ったところからの眺望には参加者から歓声があがるほどであった。足元には浅川、遠方には奥多摩の山々に加え富士山も顔を覗かせていた。ここから、平山城址公園にかけては、桜の木が多く、春にまた来たい、という声も聞こえた。
 永林寺は参加者全員が初めての訪問で、「こんな立派な寺が八王子にあったのか!」「ここは、まるで京都!」と驚きの声が挙がった。さらに、北条氏照が七堂伽藍を完成させ、徳川家康が訪れ赤門建立を許した、という歴史を知り、一層印象を深めたようだ。
 長沼公園の野猿の尾根道は、散策に最適な雰囲気に加え、紅葉も楽しめた。東京薬科大学の薬用植物園とキャンパスの自然、ランチを頂いた南陽台の自宅で営む素敵なレストランも楽しんで頂けた。複数の参加者から、良いコースだ、また仲間と来るつもり、という声が聞こえた。

平山城址公園に向かう道の眺望

平山城址公園に向かう道の眺望

平山城址公園

平山城址公園

永林寺

永林寺

長沼公園

長沼公園

街の探検隊:青梅線沿線の砂利運搬鉄道跡

2018年1月2日 (街歩き 心の風景)

 12月14日号で、青梅線沿線には、かつて、いくつか砂利運搬鉄道があったことに触れ、青梅線福生河原支線を辿った。今回は、さらに3路線を辿ってみたい。
●拝島駅からの砂利運搬鉄道
 かつて、拝島駅の北方で青梅線に入っていた砂利運搬鉄道があった。東京府拝島側線。多摩川・秋川の合流地点付近の河原で採取した砂利を、国鉄拝島駅まで運搬した鉄道である。大正10年から昭和28年頃まで稼働した。現在の多摩川緑地福生南公園内を、昭島市と福生市の境付近から北方に進み、現在の睦橋通りで河原から上がり、直ぐ石川酒造に向かう道に入り、石川酒造に沿って弧を描きながら南東に進んだ。奥多摩街道付近で急カーブして東北東に向きを変え、現在の新奥多摩街道を越えたあたりからは青梅線に向かってほぼ一直線に進んだ。
 石川酒造に沿った道、および現在の国道16号と青梅線間は、鉄道敷設以前からの道である。一方、その間は桑畑の中に造られた軌道で、一部は現在もその名残を発見できる。

拝島駅からの砂利鉄道跡

拝島駅からの砂利鉄道跡

昭和22年発行、国土地理院2万5千分の1地図(*)

昭和22年発行、国土地理院2万5千分の1地図(*)

●小作駅からの砂利運搬鉄道
 多摩地域への給水のために造られた羽村市の小作浄水場。ここは昭和40年までは東京都の砂利工場であった。建設局、交通局、水道局関係などの工事のための砂利を供給した。大正10年の運開であり、関東大震災後の復興にも貢献した。河原から玉石、砂利、砂などをトロッコに載せ、巻き上げ機で急な坂道を引き上げ、選別機で、玉石、砂利、砂に分け、また玉石は砕石機で砕いた。
 工場から小作駅まで引き込み線があった。が、現在はその名残は殆ど残っていない。一方、河原から工場まで砂利を運んだ跡は、奥多摩街道の下をくぐるトンネル、その下の小道を跨ぐ陸橋が残り、また河原までは細長い公園となっていて、かつての様子を偲ぶことができる。

小作駅からの砂利鉄道跡

小作駅からの砂利鉄道跡

昭和27年発行 国土地理院2万5千分の1地図(*)

昭和27年発行
国土地理院2万5千分の1地図(*)

●河辺駅からの砂利運搬鉄道
 青梅マラソンのゴール地点として知られる青梅市総合体育館。かつて、ここには、昭和石材河辺工場があった。多摩川の河原より砂利を採取し、トロッコで崖上に引き上げ、ここで加工した。工場からは河辺駅に至る弧を描く引き込み線があった。鉄道は昭和2年から昭和40年の間使用されていたという。現在はその名残を確認することはできない。

河辺駅からの砂利鉄道跡

河辺駅からの砂利鉄道跡

昭和42年発行 国土地理院2万5千分の1地図(*)

昭和42年発行
国土地理院2万5千分の1地図(*)

(*)3つの地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷謙二氏)により作成したものです。