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散策レポート: 野火止用水・玉川上水と周辺の自然・歴史めぐり

2017年6月7日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コースの第4弾は「野火止用水・玉川上水と周辺の自然・歴史めぐり」。1日は雨天中止で、5月24日のみ開催した。良く知られた散策スポットを、薬用植物園のケシの花の見頃時期に訪れる企画。普段は見られない栽培禁止種のケシの花や成分採取の様子も見ることができた。
 散策ルートはかつての小川村の西部。新田開発当初の短冊型地割や当時植えられた樹高30m程のケヤキ、青梅街道の両側に平行して流れる2本の小川用水など、この地の独特の風景とその由来を楽しんだ。
 野火止用水では、今も残る雑木林、暗渠部分上に作られた親水路、などが参加者の心を和ませた。玉川上水では、この区間に残る素掘の荒々しい景観を見、平行して掘られている新掘用水の目的と現在も羽村堰からの水が流れている理由を再認識。小川用水始めとする市内用水には羽村堰からの水が注がれていること(市内の玉川上水、野火止用水の高度処理水とは異なる)、も体感した。
 また、野火止用水暗渠部が終わる地点から、東村山浄水場に向かう真直ぐな道を見、砂川線と呼ばれる玉川上水の水を送る導水管が、野火止用水暗渠部とこの道の下に埋設されていることも体感した。

薬用植物園 ケシ

薬用植物園 ケシ

薬用植物園 けし(栽培禁止種)

薬用植物園 ケシ(栽培禁止種)

野火止緑地

野火止緑地

玉川上水

玉川上水


野火止用水・玉川上水散策コース

野火止用水・玉川上水散策コース

散策レポート:青梅市東部の自然と歴史めぐり

2017年6月7日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コースの第3弾は「青梅市東部の自然と歴史めぐり(薬王寺のツツジなど)」。4月26日・28日の両日に開催した。
 今回はツツジとボタンの時期に合わせた企画。薬王寺のツツジは見頃時期に丁度入ったところで、期待どおり。参加者の口々から「綺麗」「良く手入れされている」「木立の緑を背景としたツツジが見事」との声が挙がった。一方、新町大井戸公園のボタンは、全体としては見頃時期には至っていなかったが、一部のボタンは楽しめた。
 今回のコースは、東京都からも埼玉県からも端にあたる場所を含むもの。金子氏本拠地の瑞泉院、今井氏ゆかりの今井城跡や正福寺、平山氏ゆかりの藤橋城跡や浮島神社・杣保葛神社など、初めて来た、という方が多かった。
 また、青梅市新町が江戸初期の慶長年間に行われた新田開発と計画的な集落造りの場所で、武蔵野新田開発の鏑矢的存在であること(小平市小川の新田開発よりも早く、享保年間に盛んに行われた武蔵野新田開発に100年以上先行)、全国屈指の大きさのまいまいず井戸である大井戸や、新町御嶽神社も、この新田開発と深い関係があることなど、再認識した、という方も多く、新鮮な散策となったようだ。

瑞泉院(金子氏の根拠地)付近

瑞泉院付近(金子氏の根拠地)

薬王寺

薬王寺

大井戸公園ぼたん園

大井戸公園ぼたん園

新町大井戸

新町大井戸

青梅市東部散策コース

青梅市東部散策コース

散策レポート:春の野川と周辺の自然・歴史めぐり

2017年6月7日 (街歩き 心の風景)

 「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」の新規コース第2弾は「春の野川と周辺の自然・歴史めぐり」。4月5日・6日の両日に開催した。本年、桜の開花が遅かったものの、直前の暖かさで、野川のソメイヨシノは見頃時期が丁度始まったところ。野川に到着するや否や、参加者からは口々に「わあ、綺麗!」との歓声が挙がった。湧水の清らかな流れ、両岸に続く桜、川辺に続く芝地の遊歩道、川に遊ぶ子供や幼児。「絵のような風景!」「子供を育てるのに最適な場所」との感想も聞こえた。
 国分寺崖線は湧水、遺跡、緑豊かな敷地を持つ旧家、特徴的な坂道が点在する場所。小金井や貫井の地名発祥と伝わる場所や、町名として残る新田開発を進めた旧家に関係深い場所も巡った。
 参加者からは、「小金井にこういう場所があるのを初めて知った」「小金井に対するイメージが変わった」などの声が聞こえた。新たな発見を楽しんだ一日となったようだ。

貫井神社

貫井神社

野川

野川

野川

野川

武蔵野公園から見る運転免許試験所

武蔵野公園から見る運転免許試験所

美術の森

美術の森

はけの小路

はけの小路

春の野川散策コース

春の野川散策コース

 

散策レポート:府中国府と周辺の歴史・自然めぐり

2017年3月23日 (街歩き 心の風景)

 「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」の本年第一弾は、「府中国府と周辺の歴史・自然めぐり」。2月24日と26日に開催された。府中の歴史的魅力は、発掘調査が現在進行形であることだ。日本最大の上円下方墳である熊野神社古墳、国衙地域中枢建物跡(大國魂神社境域とその周辺)や国司館・府中御殿跡(府中本町駅に隣接する広い更地)の本格発掘調査はともに平成に入ってから行われたもの。古くて新しい文化遺跡といえる。
 参加者からは、「府中には何回も来ているが、ここは初めて。」(熊野神社古墳、国司館・府中御殿跡、ふるさと歴史館、郷土の森博物館本館、など)、という声が多く聞こえ、新鮮な歴史めぐりであったようだ。
 また、府中の森博物館は、梅園もちょうど見頃。本館の遺跡出土品、府中宿から移転した建物と合わせ、府中の自然と歴史を堪能した。
 参加者の多くは、西国分寺、東村山、高麗郷という東山道武蔵道や鎌倉街道上道に関係する場所の散策にも参加されていて、その繋がりを持って、府中の歴史もより実感を持って巡ることができたようだ。

郷土の森博物館 梅園

郷土の森博物館 梅園

旧田中家住宅

郷土の森博物館 旧田中家住宅

高倉塚古墳

高倉塚古墳

府中崖線 西府湧水

府中崖線 西府湧水

府中国府と周辺の散策コース

府中国府と周辺の散策コース

散策レポート:府中用水・根川緑道とその周辺の自然・歴史めぐり(国立市、立川市)

2017年1月26日 (街歩き 心の風景)

 作年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コース第9弾「府中用水・根川緑道とその周辺の自然・歴史めぐり」は、12月7日、9日に合わせて49名の参加者で実施した。谷保天満宮脇の湧水の流れに始まり、府中用水谷保分水、矢川、ママ下湧水、府中用水、根川、残堀川と、立川・青柳崖線からの湧水や、崖線下の水の流れを辿る一日であった。
 谷保天満宮では神社の方から、重要文化財の狛犬・扁額を始めとする社宝のご案内と神社の歴史に関する示唆に富んだお話しを頂戴した。また7日には、滝乃川学園では映画化され、「天使のピアノ」として知らる日本で最も古いトップライトピアノを見せて頂き、手にも触れることができた。9日には、根川緑道のバードウォッチングスポットで、カワセミの出迎えを頂戴した。
 参加者からは「綺麗な水」(ママ下湧水の流れ)、「なつかしさを感じる風景」(谷保分水が流れる水田や畑)、というような声が聞こえた。国立市にこのような豊かな自然が残っていることを予期していなかった参加者が多かったようだ。

谷保分水

谷保分水

城山公園 古民家

城山公園 古民家

滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館(国登録有形文化財)

滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館(国登録有形文化財)

天使のピアノ(滝乃川学園)

天使のピアノ(滝乃川学園)

根川緑道

根川緑道

根川緑道のカワセミ

根川緑道のカワセミ


府中用水・根川緑道散策コース

府中用水・根川緑道散策コース

街の探検隊ーーあきる野市で最も古い建物の一つ、真照寺薬師堂

2017年1月13日 (街歩き 心の風景)

 あきる野市引田の真照寺、本堂北東の階段上に薬師堂がある。あきる野市で最も古い建物か、最も古い建物の一つ。寺は平安初期(寛平3年、891年)の創建とされるが、薬師堂の歴史はさらに古く、奈良時代(神亀元年)に行基が自ら薬師如来像を刻み草庵を結んだとされる。寺は元は、秋川を隔てた六枚屏風岩上の日照山(にってらやま)にあり、南北朝時代(延文元年、1356年)に足利基氏が再建。戦国時代(享禄4年)に戦火に晒され消失するも、薬師堂は難を免れ、現在の場所に移されたと伝わる。都指定有形文化財。
 『新編武蔵風土記稿』には、寛平3年(891年)造立の柱を用いて延文元年に再建したと見え、すでに江戸中期頃には柱に虫穴などがあって古色を呈していた、と記されている。昭和44年の解体修理で、屋根はもとの萱葺(かやぶき)
から銅板葺に変わった。
 行基作とも伝わるこの薬師如来像は、引田薬師と呼ばれ古くから信仰を集めてきた。毎年10月11日と21日が縁日で開帳される。高さ数十センチの小柄な立像である。

真照寺薬師堂

真照寺薬師堂

小さな無数の穴が開いた柱

小さな無数の穴が開いた柱

今も愛される裏宿七兵衛(青梅市)

2017年1月13日 (街歩き 心の風景)

 江戸時代に青梅の裏宿に住んでいた義賊、裏宿七兵衛。今も広く愛されている。青梅宿の数ヶ所に七兵衛を伝える場所がある。新春の七福神巡りの時にでも寄ってみては如何か。
●七兵衛公園
 七兵衛の屋敷跡と伝わる。ここに家を建てたり、畑を作ったりすると、事故があったり、病人が出たりと凶事が続いた。ついに、誰も住み着かなくなり、長らく空地となっていた。
●七兵衛地蔵尊
 大正5年頃、ここに西多摩郡役所を建設した。当時、度重なる凶事が生じていた。実はここは七兵衛の畑があった場所。困りぬいた揚句、地元の有志で供養し、地蔵尊が建てられた。
 七兵衛公園の場所も、ここも、悪いことが続いたので、七兵衛の祟りに違いない、七兵衛の土地であったのだろう、というのが真相、という説もある。
●七兵衛通り
 青梅街道のひとつ北の路地に名前を付けるとき、土地の人に愛されている七兵衛の名を付けた。七兵衛地蔵尊と七兵衛公園を結ぶ最短の道にあたる。
●大柳(おおやな)河原
 青梅に伝わる話では、捕らえられた七兵衛は大柳河原で打ち首になったとされる。七兵衛が実在の人物であることが明確になった『谷合見聞録』には、元文4年(1739年)10月4日付けで、村山三ツ木にて裏宿七兵衛らが捕えられ、繩付きにて村預かりとなった、とある。また、同年11月25日付けで、「籠屋」(牢屋のことか?)にて首を刎ねられ、首は青梅に送られ、笹ノ門で獄門にかけられた、とある。大柳河原での打ち首の話は、作られたもののようだ。谷合氏見聞録は、昭和26年に谷合家(かつての二俣尾村名主)から発見されたものである。
●笹ノ門(かど)
 打ち首になった七兵衛の首は「笹ノ門」に晒された。笹ノ門は青梅宿の入口で、別当沢を渡す石橋があり、黒門とも呼ばれ、御嶽神社の一の鳥居があったところ、といわれる。
●別当沢(笹川)
 青梅に伝わる話では、「笹ノ門に晒された首は、一夜大雨があり、別当沢を伝って近くの宗建寺に流れ着き、それを当時の和尚が手厚く葬った」、とされる。が、宗建寺の住職がこれを憐れみ、密かに笹ノ門から寺に移して埋葬した、というのが真相ではないか、ともいわれる。
●裏宿七兵衛の墓(宗建寺)
 今なお、墓参者が絶えない。マラソンランナーなどが良く訪れるといわれる。宗建寺の過去帳に「五月三日 法山祖幢信士 年号不知 裏宿人也 俗名七兵衛 由来不可尋 永々回向可致者也」とあり、谷合氏見聞録発見以前は、これが唯一、七兵衛が記述されたものであった。

裏宿七兵衛の話が伝わる場所と青梅七福神

散策レポート:飯能市の紅葉スポット巡り

2017年1月13日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩の自然と歴史を巡る旅」新規コース第8弾「飯能市の紅葉スポット巡り」は、11月22日、25日に合わせて55名の参加者で実施した。高麗郡は本年、建郡1300年。飯能は、上総(現千葉県)の民を移動し造られたとされる高麗郡上総郷にあたる。第7弾の高麗郷巡りに対し、いわば、高麗郡完結編。
 能仁寺、展覧山、東郷公園という紅葉スポットを巡り、飯能の歴史に触れた。25日の東郷公園は前日の雪もあり、紅葉は名残程度であったが、他は平均的にはピークを過ぎたものの、モミジの濃い紅が寺や山の緑という背景とマッチして、歓声が挙がる程の美しさであった。
 歴史面では、主要産業の一つであった川西材の筏を連結した飯能河原、絹織物の取引や市が開かれた名残をとどめる街並、飯能戦争で消失したいくつかの古刹、と巡った。また、鎌倉から戦国時代にかけて、飯能に拠点を持ち、この地の歴史に深く関わった中山氏の居館があったと伝わり、菩提寺が残る中山の地にも足を向けた。

能仁寺

能仁寺

能仁寺

能仁寺

展覧山山頂へ向かう道

展覧山山頂へ向かう道

東郷公園

東郷公園


飯能市の紅葉スポット巡りコース

飯能市の紅葉スポット巡りコース

散策レポート: 高麗郷の自然・歴史めぐり

2016年12月7日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩の自然と歴史を巡る旅」新規コース第7弾「高麗郷の自然・歴史めぐり」は、10月12日、14日に合わせて62名の参加者で実施した。高麗郡は本年、建軍1300年、参加者の中にも講演会に参加した、という方もおいでであった。
 高麗郷の魅力は律令国家創成期(飛鳥から奈良時代)の歴史を強く残す土地ということにあろう。併せて、長閑な里山風景が楽しめる場所。巾着田のコスモスは台風で倒れたが、多少は残っていて、この場所の風景を楽しめた。
 参加者からは、「何故ここに高句麗人の里が出来たのか、今迄不思議に思っていたが、理解が進んだ」、「東山道武蔵道との関係があったのか」、「新座がもとは同様に新羅からの渡来人を集めて造られた新羅郡だったとは」、「高麗の郷(さと)と呼ぶに相応しいふさわしい懐かしさを感じる道」(巾着田から聖天院に抜ける小道)、「このような豪壮な古民家を今迄見たことがない」(旧新井家住宅)、「飛鳥時代創建の神社とは!」(野々宮神社)、など、高麗の郷(さと)を堪能した一日となった。

旧新井家住宅

旧新井家住宅

コスモスの巾着田

コスモスの巾着田

巾着田から聖天院に向かう道

巾着田から聖天院に向かう道

野々宮神社

野々宮神社

高麗郷散策コース

高麗郷散策コース

街の探検隊-中武馬車鉄道

2016年12月7日 (日記, 街歩き 心の風景)

 JR青梅駅の西方700m程の熊野神社近くの酒屋(リカーステーシオンおかざき)の店脇に「此処に駅ありき」という石碑が立っている。興味をそそられた方もおいでではないか。この付近には、明治から大正にかけて運行された「中武馬車鉄道」のターミナルがあった。この鉄道は、現在の西武新宿線狭山市駅(当時、川越鉄道入間川駅)と現青梅市森下町を入間の扇町屋経由で結んでいた路線長18km余りの馬車鉄道である。レールを敷き、その上を馬車が運行するもの。当時、鉄道を補完するものとして、全国で広く行われた。
 扇町屋は、青梅から川越に至る街道(青梅では川越街道とか町屋街道と呼ばれた)と、八王子から日光へ向かう街道(千人同心街道)が交差し、伝馬が整備され、宿場が発達した場所。多摩地区や、甲信地方から江戸へ向かう物資を川越から新河岸川経由で輸送するための主要中継地点であった。
 中武馬車鉄道は明治34年(1904年)に開業。狭山市駅付近は、同年に先んじて飯能・狭山市間に開業した「入間馬車鉄道」の路線を借用した。
 青梅(森下)を出発した馬車は、青梅街道を上り、現JR東青梅駅付近で青梅鉄道と平面交叉の後、東北東の町屋街道に入り、大門、七日市場、金子と進んでいった。
 中武馬車鉄道は、その後の生糸や織物産業の不振、日露戦争による軍馬の徴発や餌・馬具の高騰、大正初期の不況等により、経営は常に苦しく、大正6年(1917年)についに廃線に追い込まれた。同年、入間馬車鉄道も、武蔵野鉄道(現、西武池袋線)開通により存在意義が無くなり廃線となった。なお、青梅鉄道との平面交叉の問題で、明治40年以降、中武馬車鉄道のターミナルは師岡(現JR東青梅駅北西)に替わっていた。

中武馬車鉄道

中武馬車鉄道

青梅市森下町

中武馬車鉄道終点付近(青梅市森下町)

平面交叉

青梅鉄道との平面交叉地点(東青梅駅付近)