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散策レポート:府中国府と周辺の歴史・自然めぐり

2017年3月23日 (街歩き 心の風景)

 「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」の本年第一弾は、「府中国府と周辺の歴史・自然めぐり」。2月24日と26日に開催された。府中の歴史的魅力は、発掘調査が現在進行形であることだ。日本最大の上円下方墳である熊野神社古墳、国衙地域中枢建物跡(大國魂神社境域とその周辺)や国司館・府中御殿跡(府中本町駅に隣接する広い更地)の本格発掘調査はともに平成に入ってから行われたもの。古くて新しい文化遺跡といえる。
 参加者からは、「府中には何回も来ているが、ここは初めて。」(熊野神社古墳、国司館・府中御殿跡、ふるさと歴史館、郷土の森博物館本館、など)、という声が多く聞こえ、新鮮な歴史めぐりであったようだ。
 また、府中の森博物館は、梅園もちょうど見頃。本館の遺跡出土品、府中宿から移転した建物と合わせ、府中の自然と歴史を堪能した。
 参加者の多くは、西国分寺、東村山、高麗郷という東山道武蔵道や鎌倉街道上道に関係する場所の散策にも参加されていて、その繋がりを持って、府中の歴史もより実感を持って巡ることができたようだ。

郷土の森博物館 梅園

郷土の森博物館 梅園

旧田中家住宅

郷土の森博物館 旧田中家住宅

高倉塚古墳

高倉塚古墳

府中崖線 西府湧水

府中崖線 西府湧水

府中国府と周辺の散策コース

府中国府と周辺の散策コース

散策レポート:府中用水・根川緑道とその周辺の自然・歴史めぐり(国立市、立川市)

2017年1月26日 (街歩き 心の風景)

 作年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コース第9弾「府中用水・根川緑道とその周辺の自然・歴史めぐり」は、12月7日、9日に合わせて49名の参加者で実施した。谷保天満宮脇の湧水の流れに始まり、府中用水谷保分水、矢川、ママ下湧水、府中用水、根川、残堀川と、立川・青柳崖線からの湧水や、崖線下の水の流れを辿る一日であった。
 谷保天満宮では神社の方から、重要文化財の狛犬・扁額を始めとする社宝のご案内と神社の歴史に関する示唆に富んだお話しを頂戴した。また7日には、滝乃川学園では映画化され、「天使のピアノ」として知らる日本で最も古いトップライトピアノを見せて頂き、手にも触れることができた。9日には、根川緑道のバードウォッチングスポットで、カワセミの出迎えを頂戴した。
 参加者からは「綺麗な水」(ママ下湧水の流れ)、「なつかしさを感じる風景」(谷保分水が流れる水田や畑)、というような声が聞こえた。国立市にこのような豊かな自然が残っていることを予期していなかった参加者が多かったようだ。

谷保分水

谷保分水

城山公園 古民家

城山公園 古民家

滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館(国登録有形文化財)

滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館(国登録有形文化財)

天使のピアノ(滝乃川学園)

天使のピアノ(滝乃川学園)

根川緑道

根川緑道

根川緑道のカワセミ

根川緑道のカワセミ


府中用水・根川緑道散策コース

府中用水・根川緑道散策コース

街の探検隊ーーあきる野市で最も古い建物の一つ、真照寺薬師堂

2017年1月13日 (街歩き 心の風景)

 あきる野市引田の真照寺、本堂北東の階段上に薬師堂がある。あきる野市で最も古い建物か、最も古い建物の一つ。寺は平安初期(寛平3年、891年)の創建とされるが、薬師堂の歴史はさらに古く、奈良時代(神亀元年)に行基が自ら薬師如来像を刻み草庵を結んだとされる。寺は元は、秋川を隔てた六枚屏風岩上の日照山(にってらやま)にあり、南北朝時代(延文元年、1356年)に足利基氏が再建。戦国時代(享禄4年)に戦火に晒され消失するも、薬師堂は難を免れ、現在の場所に移されたと伝わる。都指定有形文化財。
 『新編武蔵風土記稿』には、寛平3年(891年)造立の柱を用いて延文元年に再建したと見え、すでに江戸中期頃には柱に虫穴などがあって古色を呈していた、と記されている。昭和44年の解体修理で、屋根はもとの萱葺(かやぶき)
から銅板葺に変わった。
 行基作とも伝わるこの薬師如来像は、引田薬師と呼ばれ古くから信仰を集めてきた。毎年10月11日と21日が縁日で開帳される。高さ数十センチの小柄な立像である。

真照寺薬師堂

真照寺薬師堂

小さな無数の穴が開いた柱

小さな無数の穴が開いた柱

今も愛される裏宿七兵衛(青梅市)

2017年1月13日 (街歩き 心の風景)

 江戸時代に青梅の裏宿に住んでいた義賊、裏宿七兵衛。今も広く愛されている。青梅宿の数ヶ所に七兵衛を伝える場所がある。新春の七福神巡りの時にでも寄ってみては如何か。
●七兵衛公園
 七兵衛の屋敷跡と伝わる。ここに家を建てたり、畑を作ったりすると、事故があったり、病人が出たりと凶事が続いた。ついに、誰も住み着かなくなり、長らく空地となっていた。
●七兵衛地蔵尊
 大正5年頃、ここに西多摩郡役所を建設した。当時、度重なる凶事が生じていた。実はここは七兵衛の畑があった場所。困りぬいた揚句、地元の有志で供養し、地蔵尊が建てられた。
 七兵衛公園の場所も、ここも、悪いことが続いたので、七兵衛の祟りに違いない、七兵衛の土地であったのだろう、というのが真相、という説もある。
●七兵衛通り
 青梅街道のひとつ北の路地に名前を付けるとき、土地の人に愛されている七兵衛の名を付けた。七兵衛地蔵尊と七兵衛公園を結ぶ最短の道にあたる。
●大柳(おおやな)河原
 青梅に伝わる話では、捕らえられた七兵衛は大柳河原で打ち首になったとされる。七兵衛が実在の人物であることが明確になった『谷合見聞録』には、元文4年(1739年)10月4日付けで、村山三ツ木にて裏宿七兵衛らが捕えられ、繩付きにて村預かりとなった、とある。また、同年11月25日付けで、「籠屋」(牢屋のことか?)にて首を刎ねられ、首は青梅に送られ、笹ノ門で獄門にかけられた、とある。大柳河原での打ち首の話は、作られたもののようだ。谷合氏見聞録は、昭和26年に谷合家(かつての二俣尾村名主)から発見されたものである。
●笹ノ門(かど)
 打ち首になった七兵衛の首は「笹ノ門」に晒された。笹ノ門は青梅宿の入口で、別当沢を渡す石橋があり、黒門とも呼ばれ、御嶽神社の一の鳥居があったところ、といわれる。
●別当沢(笹川)
 青梅に伝わる話では、「笹ノ門に晒された首は、一夜大雨があり、別当沢を伝って近くの宗建寺に流れ着き、それを当時の和尚が手厚く葬った」、とされる。が、宗建寺の住職がこれを憐れみ、密かに笹ノ門から寺に移して埋葬した、というのが真相ではないか、ともいわれる。
●裏宿七兵衛の墓(宗建寺)
 今なお、墓参者が絶えない。マラソンランナーなどが良く訪れるといわれる。宗建寺の過去帳に「五月三日 法山祖幢信士 年号不知 裏宿人也 俗名七兵衛 由来不可尋 永々回向可致者也」とあり、谷合氏見聞録発見以前は、これが唯一、七兵衛が記述されたものであった。

裏宿七兵衛の話が伝わる場所と青梅七福神

散策レポート:飯能市の紅葉スポット巡り

2017年1月13日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩の自然と歴史を巡る旅」新規コース第8弾「飯能市の紅葉スポット巡り」は、11月22日、25日に合わせて55名の参加者で実施した。高麗郡は本年、建郡1300年。飯能は、上総(現千葉県)の民を移動し造られたとされる高麗郡上総郷にあたる。第7弾の高麗郷巡りに対し、いわば、高麗郡完結編。
 能仁寺、展覧山、東郷公園という紅葉スポットを巡り、飯能の歴史に触れた。25日の東郷公園は前日の雪もあり、紅葉は名残程度であったが、他は平均的にはピークを過ぎたものの、モミジの濃い紅が寺や山の緑という背景とマッチして、歓声が挙がる程の美しさであった。
 歴史面では、主要産業の一つであった川西材の筏を連結した飯能河原、絹織物の取引や市が開かれた名残をとどめる街並、飯能戦争で消失したいくつかの古刹、と巡った。また、鎌倉から戦国時代にかけて、飯能に拠点を持ち、この地の歴史に深く関わった中山氏の居館があったと伝わり、菩提寺が残る中山の地にも足を向けた。

能仁寺

能仁寺

能仁寺

能仁寺

展覧山山頂へ向かう道

展覧山山頂へ向かう道

東郷公園

東郷公園


飯能市の紅葉スポット巡りコース

飯能市の紅葉スポット巡りコース

散策レポート: 高麗郷の自然・歴史めぐり

2016年12月7日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩の自然と歴史を巡る旅」新規コース第7弾「高麗郷の自然・歴史めぐり」は、10月12日、14日に合わせて62名の参加者で実施した。高麗郡は本年、建軍1300年、参加者の中にも講演会に参加した、という方もおいでであった。
 高麗郷の魅力は律令国家創成期(飛鳥から奈良時代)の歴史を強く残す土地ということにあろう。併せて、長閑な里山風景が楽しめる場所。巾着田のコスモスは台風で倒れたが、多少は残っていて、この場所の風景を楽しめた。
 参加者からは、「何故ここに高句麗人の里が出来たのか、今迄不思議に思っていたが、理解が進んだ」、「東山道武蔵道との関係があったのか」、「新座がもとは同様に新羅からの渡来人を集めて造られた新羅郡だったとは」、「高麗の郷(さと)と呼ぶに相応しいふさわしい懐かしさを感じる道」(巾着田から聖天院に抜ける小道)、「このような豪壮な古民家を今迄見たことがない」(旧新井家住宅)、「飛鳥時代創建の神社とは!」(野々宮神社)、など、高麗の郷(さと)を堪能した一日となった。

旧新井家住宅

旧新井家住宅

コスモスの巾着田

コスモスの巾着田

巾着田から聖天院に向かう道

巾着田から聖天院に向かう道

野々宮神社

野々宮神社

高麗郷散策コース

高麗郷散策コース

街の探検隊-中武馬車鉄道

2016年12月7日 (日記, 街歩き 心の風景)

 JR青梅駅の西方700m程の熊野神社近くの酒屋(リカーステーシオンおかざき)の店脇に「此処に駅ありき」という石碑が立っている。興味をそそられた方もおいでではないか。この付近には、明治から大正にかけて運行された「中武馬車鉄道」のターミナルがあった。この鉄道は、現在の西武新宿線狭山市駅(当時、川越鉄道入間川駅)と現青梅市森下町を入間の扇町屋経由で結んでいた路線長18km余りの馬車鉄道である。レールを敷き、その上を馬車が運行するもの。当時、鉄道を補完するものとして、全国で広く行われた。
 扇町屋は、青梅から川越に至る街道(青梅では川越街道とか町屋街道と呼ばれた)と、八王子から日光へ向かう街道(千人同心街道)が交差し、伝馬が整備され、宿場が発達した場所。多摩地区や、甲信地方から江戸へ向かう物資を川越から新河岸川経由で輸送するための主要中継地点であった。
 中武馬車鉄道は明治34年(1904年)に開業。狭山市駅付近は、同年に先んじて飯能・狭山市間に開業した「入間馬車鉄道」の路線を借用した。
 青梅(森下)を出発した馬車は、青梅街道を上り、現JR東青梅駅付近で青梅鉄道と平面交叉の後、東北東の町屋街道に入り、大門、七日市場、金子と進んでいった。
 中武馬車鉄道は、その後の生糸や織物産業の不振、日露戦争による軍馬の徴発や餌・馬具の高騰、大正初期の不況等により、経営は常に苦しく、大正6年(1917年)についに廃線に追い込まれた。同年、入間馬車鉄道も、武蔵野鉄道(現、西武池袋線)開通により存在意義が無くなり廃線となった。なお、青梅鉄道との平面交叉の問題で、明治40年以降、中武馬車鉄道のターミナルは師岡(現JR東青梅駅北西)に替わっていた。

中武馬車鉄道

中武馬車鉄道

青梅市森下町

中武馬車鉄道終点付近(青梅市森下町)

平面交叉

青梅鉄道との平面交叉地点(東青梅駅付近)

散策レポート:氷川・鳩ノ巣渓谷と古里の自然・歴史めぐり(奥多摩町)

2016年10月28日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩の自然と歴史を巡る旅」新規コース第6弾「氷川・鳩ノ巣渓谷と古里の自然・歴史めぐり」は、台風や連日の雨天の影響で9月23日のみ、17名の参加者で実施した。
 参加者からは、「駅の近くと思えぬ良いところ。奥多摩町在住だが、初めて来た」(氷川渓谷)、「全国の氷川神社の起源だとは」(奥氷川神社)、「駅の近くに、こんな立派な滝があったのか」(双竜の滝)、「赤いお堂があるな、と知っていたが、そのような歴史あるものだったのか」(丹叟院阿弥陀堂)、「”丹”の字がつく地名が多いので、今迄不思議に思っていた」(丹党、丹次郎・丹三郎兄弟)、などの声が聞こえ、この地の魅力を味わって頂けた。連日の雨の影響で、鳩ノ巣の双竜の滝と水神の滝はいつにない迫力であった。

登計橋(氷川渓谷)

登計橋(氷川渓谷)

水神の滝(鳩ノ巣渓谷)

水神の滝(鳩ノ巣渓谷)


氷川・鳩ノ巣渓谷と古里散策コース

氷川・鳩ノ巣渓谷と古里散策コース

散策レポート: 北秋川渓谷の自然、歴史めぐり(檜原村)

2016年8月10日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩の自然と歴史をめぐる旅」新規コース第5弾は、貸し切りバスでの「北秋川渓谷の自然、歴史めぐり」。7月27日・29日に合わせて45名の参加者で開催した。本宿、千足、白倉、神戸、小沢、小岩、藤倉と、北秋川渓谷の要所要所に立ち寄り、地名の由来、歴史背景、自然、風景に触れた。北秋川渓谷で最も早く拓けた地という小岩では、橘高安が創建したとされる八坂神社や橘高安・為定王子の屋敷跡とされる里山を散策。平山氏終焉の地とされる千足では、氏重・氏久親子を祀る御霊檜原神社と氏重の墓(長泉寺墓地)を訪れた。また、神戸岩、払沢の滝、下日向吊橋、中山の滝など、秋川とその支流の、澄んだ水の流れと涼しさを満喫した。

神戸岩

神戸岩

八坂神社(小岩)

八坂神社(小岩)

払沢の滝への道

払沢の滝への道

払沢の滝

払沢の滝

下日向吊橋近くの川原

下日向吊橋近くの川原

中山の滝

中山の滝


北秋川渓谷めぐりコース

北秋川渓谷めぐりコース

散策レポート:多摩湖自転車道

2016年7月14日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩と周辺の自然と歴史をめぐる旅」新規コース第4弾は、「多摩湖自転車道と周辺の自然・歴史めぐり」。天候のせいで6月29日のみ27名の参加者で開催した。西武線八坂駅・九道の辻から、ライシャワー記念館まで野火止用水を辿り、花小金井駅から小平駅まで多摩湖自転車道を辿り、ガスミュージアムと江戸東京たてもの園を訪れた。自転車道は所々アジサイに飾られ、あじさい公園のアジサイも丁度見頃であった。
 歴史面では、10km以上も真直ぐな道が続く理由(下に導水路がある多摩湖自転車道)、小川駅・萩山駅間で線路が90度以上方向を変える理由(かつての陸軍工場内引き込み線)、ライシャワー記念館がここにある理由(戦時中の兵学校敷地)、昔は水が無く人が住めなかったという小平に旧石器時代遺跡がある理由(かつての石神井川源流)など、この地の不思議とその謎解きに触れた一日となった。

あじさい公園

あじさい公園


多摩川自転車道と周辺の散策コース

多摩川自転車道と周辺の散策コース