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街の探検隊:睦橋通り(かつての伊奈道)下の3つの湧水(あきる野市)

2017年8月9日 (街歩き 心の風景)

 拝島駅前の整備により、拝島駅から武蔵五日市駅まで、片側2車線のほぼ直線の道が完成した。この道で、武蔵引田駅南方の淵上交差点以東は睦橋(むつみばし)通りと呼ばれる。この道の原型は五日市街道整備以前の「伊奈道」に遡る。江戸城修復にあたった伊奈の石工らが往来した道である。睦橋通りは秋川の段丘崖上にあり、周辺には湧水が点在する。道の直下にもいくつか特徴ある湧水がある。

睦橋通り下の3湧水

睦橋通り下の3湧水


●白瀧神社の湧水
 白瀧神社脇からはこんこんと水が湧き、周辺はうっそうとした森となっている。白瀧神社北側の道は、現在の睦橋通り整備以前の道筋で、かつての伊奈道にあたる。この湧水は近くの眞城寺に湧く水と合流し、金松寺の境内を流れ、秋川に注ぐ。金松寺南部には、今も水田が広がる。
白瀧神社の湧水

白瀧神社の湧水


●西雨間バス停付近の湧水
 西雨間バス停付近の睦橋通り直下に、今も水場が残る湧水がある。湧水の流れは東南東に進み、地蔵院の前で南方に向きを変え秋川に注ぐ。地蔵院に至る湧水の流れはうっそうとした林の中を進む。流れに沿った小道は、かつての伊奈道とされる。伊奈道は地蔵院前からは北東に向う。この道筋は鎌倉街道であった。
西雨間バス停付近の湧水

西雨間バス停付近の湧水

地蔵院へ向かう湧水の流れ

地蔵院へ向かう湧水の流れ


●小川交差点付近の湧水
 小川交差点東方の南側の歩道下に水が湧き、土地の人が鯉を飼育している。文字どおり道路直下の湧水。良くここを通る人も、気付かないことが多いのではないかとも思われる湧水。かつて、この湧水の流れは近くの法林寺に向い、境内に池があったという。法林寺の開山禅師が二宮神社の竜の病を治したお礼に授かった、と伝わる湧水である。法林寺は河岸段丘の上にあるが、反対側には昭和年間までは水田が広がっていた。
小川交差点付近の湧水

小川交差点付近の湧水


(伊奈道の道筋は時代によって変遷し、また諸説があります。多くの人が挙げている説に従いました。)

散策レポート:アジサイの高幡不動尊と日野宿の歴史・自然めぐり

2017年7月27日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コース第5弾は「アジサイの高幡不動尊と日野宿の歴史・自然めぐり」。雨の関係で6月23日のみの開催となった。日野市は、かつて、多摩きっての米どころ。各所できれいな用水と出会うことができる。今回のコースに含まれる向島用水親水路も、緑に包まれた清流を辿る散策が楽しめるところで、参加者から「良いところだ」という声が挙がった。
 高幡不動尊のアジサイも見頃。高幡不動尊は10件の国指定重要文化財を蔵する寺。これを奥殿で拝観できる。また、土方歳三使用の木刀や直筆の書簡も見ることができた。
 日野宿では、かつての宿東端の「東の地蔵」から西端の「西の地蔵」までを巡り、日野宿本陣、旧日野銀行などの歴史的建造物や新選組ゆかりの寺社を巡った。
 今回は、良く知られた場所を主体としたコースではあったが、鍵の手が確認できる江戸時代の甲州街道跡、それ以前の旧道、日野宿の成り立ちが戦国時代の上佐藤家(江戸時代本陣を勤めた)祖先と北条氏照に遡ることなどを再認識。参加者からは、「初めて来た」「初めて知った」という声も時々聞こえ、新鮮味のあった散策となったようだ。日野宿交流館の判りやすい展示と市役所の方の気持ちがこもった説明、街中に展示された昔の風景写真も好評であった。

向島用水親水路

向島用水親水路

高幡不動尊

高幡不動尊

日野宿交流館

日野宿交流館

日野宿本陣

日野宿本陣


高幡不動尊と日野宿コース

高幡不動尊と日野宿コース

街の探検隊ー奥多摩町最古の建物、丹叟院阿弥陀堂

2017年7月26日 (街歩き 心の風景)

 JR青梅線古里駅の北方山すそに丹叟院(たんそういん)という珍しい名の寺がある。この寺の本堂の東に弁柄(べんがら)が塗り込まれた阿弥陀堂がある。このお堂はかつて近くにあった無量山西光寺から移されたもの。西光寺は、この地の旧家である原嶋氏の先祖が開基で、故郷秩父(秩父駅近く)にある寺と同名の寺を建てたものと伝わる。
 屋根は宝形造りで、移築時にかつての萱葺きから銅版葺きに変更されたが、他に大きな変更はなかったといわれる。築年は定かではないが、建築様式から室町末期~戦国時代のものと考えられており、奥多摩町では最古で、西多摩地域でも最も古い建造物のひとつ、とされる。天井の梁は鋸(のこぎり)ではなく斧(おの)のようなもので切られ、床板の根太は鉈(なた)で割いて、手斧(ちょうな)で整える製法によっている。
 堂内には木造阿弥陀三尊立像と、三尊の両脇に17体ずつ、合計34体の観音像が納められている。全て、お堂と同時期の作製で、観音像群は秩父三十四観音霊場(札所)のものに対応するもの、と考えられている。お堂は年1度、8月8日の縁日に合わせて開帳される。
 原嶋氏は武蔵七党のひとつである丹党の流れを汲むと伝わる。戦国時代(明応年間)に武州忍領原島村(現埼玉県熊谷市)から一党とともに来住したのが、原島丹次郎友一・丹三郎友連兄弟で、兄の丹次郎が日原を、弟の丹三郎が丹三郎と小丹波を開拓。次第に奥多摩各所へ勢力を張っていった。江戸時代、奥多摩17村のうち8村の名主は原嶋姓というときもあったといわれる。
 丹叟院阿弥陀堂は、奥多摩町開拓の歴史を今に伝える建物といえよう。

丹叟院阿弥陀堂

丹叟院阿弥陀堂

散策レポート: 野火止用水・玉川上水と周辺の自然・歴史めぐり

2017年6月7日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コースの第4弾は「野火止用水・玉川上水と周辺の自然・歴史めぐり」。1日は雨天中止で、5月24日のみ開催した。良く知られた散策スポットを、薬用植物園のケシの花の見頃時期に訪れる企画。普段は見られない栽培禁止種のケシの花や成分採取の様子も見ることができた。
 散策ルートはかつての小川村の西部。新田開発当初の短冊型地割や当時植えられた樹高30m程のケヤキ、青梅街道の両側に平行して流れる2本の小川用水など、この地の独特の風景とその由来を楽しんだ。
 野火止用水では、今も残る雑木林、暗渠部分上に作られた親水路、などが参加者の心を和ませた。玉川上水では、この区間に残る素掘の荒々しい景観を見、平行して掘られている新掘用水の目的と現在も羽村堰からの水が流れている理由を再認識。小川用水始めとする市内用水には羽村堰からの水が注がれていること(市内の玉川上水、野火止用水の高度処理水とは異なる)、も体感した。
 また、野火止用水暗渠部が終わる地点から、東村山浄水場に向かう真直ぐな道を見、砂川線と呼ばれる玉川上水の水を送る導水管が、野火止用水暗渠部とこの道の下に埋設されていることも体感した。

薬用植物園 ケシ

薬用植物園 ケシ

薬用植物園 けし(栽培禁止種)

薬用植物園 ケシ(栽培禁止種)

野火止緑地

野火止緑地

玉川上水

玉川上水


野火止用水・玉川上水散策コース

野火止用水・玉川上水散策コース

散策レポート:青梅市東部の自然と歴史めぐり

2017年6月7日 (街歩き 心の風景)

 本年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コースの第3弾は「青梅市東部の自然と歴史めぐり(薬王寺のツツジなど)」。4月26日・28日の両日に開催した。
 今回はツツジとボタンの時期に合わせた企画。薬王寺のツツジは見頃時期に丁度入ったところで、期待どおり。参加者の口々から「綺麗」「良く手入れされている」「木立の緑を背景としたツツジが見事」との声が挙がった。一方、新町大井戸公園のボタンは、全体としては見頃時期には至っていなかったが、一部のボタンは楽しめた。
 今回のコースは、東京都からも埼玉県からも端にあたる場所を含むもの。金子氏本拠地の瑞泉院、今井氏ゆかりの今井城跡や正福寺、平山氏ゆかりの藤橋城跡や浮島神社・杣保葛神社など、初めて来た、という方が多かった。
 また、青梅市新町が江戸初期の慶長年間に行われた新田開発と計画的な集落造りの場所で、武蔵野新田開発の鏑矢的存在であること(小平市小川の新田開発よりも早く、享保年間に盛んに行われた武蔵野新田開発に100年以上先行)、全国屈指の大きさのまいまいず井戸である大井戸や、新町御嶽神社も、この新田開発と深い関係があることなど、再認識した、という方も多く、新鮮な散策となったようだ。

瑞泉院(金子氏の根拠地)付近

瑞泉院付近(金子氏の根拠地)

薬王寺

薬王寺

大井戸公園ぼたん園

大井戸公園ぼたん園

新町大井戸

新町大井戸

青梅市東部散策コース

青梅市東部散策コース

散策レポート:春の野川と周辺の自然・歴史めぐり

2017年6月7日 (街歩き 心の風景)

 「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」の新規コース第2弾は「春の野川と周辺の自然・歴史めぐり」。4月5日・6日の両日に開催した。本年、桜の開花が遅かったものの、直前の暖かさで、野川のソメイヨシノは見頃時期が丁度始まったところ。野川に到着するや否や、参加者からは口々に「わあ、綺麗!」との歓声が挙がった。湧水の清らかな流れ、両岸に続く桜、川辺に続く芝地の遊歩道、川に遊ぶ子供や幼児。「絵のような風景!」「子供を育てるのに最適な場所」との感想も聞こえた。
 国分寺崖線は湧水、遺跡、緑豊かな敷地を持つ旧家、特徴的な坂道が点在する場所。小金井や貫井の地名発祥と伝わる場所や、町名として残る新田開発を進めた旧家に関係深い場所も巡った。
 参加者からは、「小金井にこういう場所があるのを初めて知った」「小金井に対するイメージが変わった」などの声が聞こえた。新たな発見を楽しんだ一日となったようだ。

貫井神社

貫井神社

野川

野川

野川

野川

武蔵野公園から見る運転免許試験所

武蔵野公園から見る運転免許試験所

美術の森

美術の森

はけの小路

はけの小路

春の野川散策コース

春の野川散策コース

 

散策レポート:府中国府と周辺の歴史・自然めぐり

2017年3月23日 (街歩き 心の風景)

 「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」の本年第一弾は、「府中国府と周辺の歴史・自然めぐり」。2月24日と26日に開催された。府中の歴史的魅力は、発掘調査が現在進行形であることだ。日本最大の上円下方墳である熊野神社古墳、国衙地域中枢建物跡(大國魂神社境域とその周辺)や国司館・府中御殿跡(府中本町駅に隣接する広い更地)の本格発掘調査はともに平成に入ってから行われたもの。古くて新しい文化遺跡といえる。
 参加者からは、「府中には何回も来ているが、ここは初めて。」(熊野神社古墳、国司館・府中御殿跡、ふるさと歴史館、郷土の森博物館本館、など)、という声が多く聞こえ、新鮮な歴史めぐりであったようだ。
 また、府中の森博物館は、梅園もちょうど見頃。本館の遺跡出土品、府中宿から移転した建物と合わせ、府中の自然と歴史を堪能した。
 参加者の多くは、西国分寺、東村山、高麗郷という東山道武蔵道や鎌倉街道上道に関係する場所の散策にも参加されていて、その繋がりを持って、府中の歴史もより実感を持って巡ることができたようだ。

郷土の森博物館 梅園

郷土の森博物館 梅園

旧田中家住宅

郷土の森博物館 旧田中家住宅

高倉塚古墳

高倉塚古墳

府中崖線 西府湧水

府中崖線 西府湧水

府中国府と周辺の散策コース

府中国府と周辺の散策コース

散策レポート:府中用水・根川緑道とその周辺の自然・歴史めぐり(国立市、立川市)

2017年1月26日 (街歩き 心の風景)

 作年の「西多摩と周辺の自然と歴史を巡る旅」新規コース第9弾「府中用水・根川緑道とその周辺の自然・歴史めぐり」は、12月7日、9日に合わせて49名の参加者で実施した。谷保天満宮脇の湧水の流れに始まり、府中用水谷保分水、矢川、ママ下湧水、府中用水、根川、残堀川と、立川・青柳崖線からの湧水や、崖線下の水の流れを辿る一日であった。
 谷保天満宮では神社の方から、重要文化財の狛犬・扁額を始めとする社宝のご案内と神社の歴史に関する示唆に富んだお話しを頂戴した。また7日には、滝乃川学園では映画化され、「天使のピアノ」として知らる日本で最も古いトップライトピアノを見せて頂き、手にも触れることができた。9日には、根川緑道のバードウォッチングスポットで、カワセミの出迎えを頂戴した。
 参加者からは「綺麗な水」(ママ下湧水の流れ)、「なつかしさを感じる風景」(谷保分水が流れる水田や畑)、というような声が聞こえた。国立市にこのような豊かな自然が残っていることを予期していなかった参加者が多かったようだ。

谷保分水

谷保分水

城山公園 古民家

城山公園 古民家

滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館(国登録有形文化財)

滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館(国登録有形文化財)

天使のピアノ(滝乃川学園)

天使のピアノ(滝乃川学園)

根川緑道

根川緑道

根川緑道のカワセミ

根川緑道のカワセミ


府中用水・根川緑道散策コース

府中用水・根川緑道散策コース

街の探検隊ーーあきる野市で最も古い建物の一つ、真照寺薬師堂

2017年1月13日 (街歩き 心の風景)

 あきる野市引田の真照寺、本堂北東の階段上に薬師堂がある。あきる野市で最も古い建物か、最も古い建物の一つ。寺は平安初期(寛平3年、891年)の創建とされるが、薬師堂の歴史はさらに古く、奈良時代(神亀元年)に行基が自ら薬師如来像を刻み草庵を結んだとされる。寺は元は、秋川を隔てた六枚屏風岩上の日照山(にってらやま)にあり、南北朝時代(延文元年、1356年)に足利基氏が再建。戦国時代(享禄4年)に戦火に晒され消失するも、薬師堂は難を免れ、現在の場所に移されたと伝わる。都指定有形文化財。
 『新編武蔵風土記稿』には、寛平3年(891年)造立の柱を用いて延文元年に再建したと見え、すでに江戸中期頃には柱に虫穴などがあって古色を呈していた、と記されている。昭和44年の解体修理で、屋根はもとの萱葺(かやぶき)
から銅板葺に変わった。
 行基作とも伝わるこの薬師如来像は、引田薬師と呼ばれ古くから信仰を集めてきた。毎年10月11日と21日が縁日で開帳される。高さ数十センチの小柄な立像である。

真照寺薬師堂

真照寺薬師堂

小さな無数の穴が開いた柱

小さな無数の穴が開いた柱

今も愛される裏宿七兵衛(青梅市)

2017年1月13日 (街歩き 心の風景)

 江戸時代に青梅の裏宿に住んでいた義賊、裏宿七兵衛。今も広く愛されている。青梅宿の数ヶ所に七兵衛を伝える場所がある。新春の七福神巡りの時にでも寄ってみては如何か。
●七兵衛公園
 七兵衛の屋敷跡と伝わる。ここに家を建てたり、畑を作ったりすると、事故があったり、病人が出たりと凶事が続いた。ついに、誰も住み着かなくなり、長らく空地となっていた。
●七兵衛地蔵尊
 大正5年頃、ここに西多摩郡役所を建設した。当時、度重なる凶事が生じていた。実はここは七兵衛の畑があった場所。困りぬいた揚句、地元の有志で供養し、地蔵尊が建てられた。
 七兵衛公園の場所も、ここも、悪いことが続いたので、七兵衛の祟りに違いない、七兵衛の土地であったのだろう、というのが真相、という説もある。
●七兵衛通り
 青梅街道のひとつ北の路地に名前を付けるとき、土地の人に愛されている七兵衛の名を付けた。七兵衛地蔵尊と七兵衛公園を結ぶ最短の道にあたる。
●大柳(おおやな)河原
 青梅に伝わる話では、捕らえられた七兵衛は大柳河原で打ち首になったとされる。七兵衛が実在の人物であることが明確になった『谷合見聞録』には、元文4年(1739年)10月4日付けで、村山三ツ木にて裏宿七兵衛らが捕えられ、繩付きにて村預かりとなった、とある。また、同年11月25日付けで、「籠屋」(牢屋のことか?)にて首を刎ねられ、首は青梅に送られ、笹ノ門で獄門にかけられた、とある。大柳河原での打ち首の話は、作られたもののようだ。谷合氏見聞録は、昭和26年に谷合家(かつての二俣尾村名主)から発見されたものである。
●笹ノ門(かど)
 打ち首になった七兵衛の首は「笹ノ門」に晒された。笹ノ門は青梅宿の入口で、別当沢を渡す石橋があり、黒門とも呼ばれ、御嶽神社の一の鳥居があったところ、といわれる。
●別当沢(笹川)
 青梅に伝わる話では、「笹ノ門に晒された首は、一夜大雨があり、別当沢を伝って近くの宗建寺に流れ着き、それを当時の和尚が手厚く葬った」、とされる。が、宗建寺の住職がこれを憐れみ、密かに笹ノ門から寺に移して埋葬した、というのが真相ではないか、ともいわれる。
●裏宿七兵衛の墓(宗建寺)
 今なお、墓参者が絶えない。マラソンランナーなどが良く訪れるといわれる。宗建寺の過去帳に「五月三日 法山祖幢信士 年号不知 裏宿人也 俗名七兵衛 由来不可尋 永々回向可致者也」とあり、谷合氏見聞録発見以前は、これが唯一、七兵衛が記述されたものであった。

裏宿七兵衛の話が伝わる場所と青梅七福神