街の探検隊:青梅線沿線の砂利運搬鉄道跡

2018年1月2日 (街歩き 心の風景)

 12月14日号で、青梅線沿線には、かつて、いくつか砂利運搬鉄道があったことに触れ、青梅線福生河原支線を辿った。今回は、さらに3路線を辿ってみたい。
●拝島駅からの砂利運搬鉄道
 かつて、拝島駅の北方で青梅線に入っていた砂利運搬鉄道があった。東京府拝島側線。多摩川・秋川の合流地点付近の河原で採取した砂利を、国鉄拝島駅まで運搬した鉄道である。大正10年から昭和28年頃まで稼働した。現在の多摩川緑地福生南公園内を、昭島市と福生市の境付近から北方に進み、現在の睦橋通りで河原から上がり、直ぐ石川酒造に向かう道に入り、石川酒造に沿って弧を描きながら南東に進んだ。奥多摩街道付近で急カーブして東北東に向きを変え、現在の新奥多摩街道を越えたあたりからは青梅線に向かってほぼ一直線に進んだ。
 石川酒造に沿った道、および現在の国道16号と青梅線間は、鉄道敷設以前からの道である。一方、その間は桑畑の中に造られた軌道で、一部は現在もその名残を発見できる。

拝島駅からの砂利鉄道跡

拝島駅からの砂利鉄道跡

昭和22年発行、国土地理院2万5千分の1地図(*)

昭和22年発行、国土地理院2万5千分の1地図(*)

●小作駅からの砂利運搬鉄道
 多摩地域への給水のために造られた羽村市の小作浄水場。ここは昭和40年までは東京都の砂利工場であった。建設局、交通局、水道局関係などの工事のための砂利を供給した。大正10年の運開であり、関東大震災後の復興にも貢献した。河原から玉石、砂利、砂などをトロッコに載せ、巻き上げ機で急な坂道を引き上げ、選別機で、玉石、砂利、砂に分け、また玉石は砕石機で砕いた。
 工場から小作駅まで引き込み線があった。が、現在はその名残は殆ど残っていない。一方、河原から工場まで砂利を運んだ跡は、奥多摩街道の下をくぐるトンネル、その下の小道を跨ぐ陸橋が残り、また河原までは細長い公園となっていて、かつての様子を偲ぶことができる。

小作駅からの砂利鉄道跡

小作駅からの砂利鉄道跡

昭和27年発行 国土地理院2万5千分の1地図(*)

昭和27年発行
国土地理院2万5千分の1地図(*)

●河辺駅からの砂利運搬鉄道
 青梅マラソンのゴール地点として知られる青梅市総合体育館。かつて、ここには、昭和石材河辺工場があった。多摩川の河原より砂利を採取し、トロッコで崖上に引き上げ、ここで加工した。工場からは河辺駅に至る弧を描く引き込み線があった。鉄道は昭和2年から昭和40年の間使用されていたという。現在はその名残を確認することはできない。

河辺駅からの砂利鉄道跡

河辺駅からの砂利鉄道跡

昭和42年発行 国土地理院2万5千分の1地図(*)

昭和42年発行
国土地理院2万5千分の1地図(*)

(*)3つの地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷謙二氏)により作成したものです。