街の探検隊:青梅線福生河原支線跡と玉川上水旧堀跡

2018年1月1日 (街歩き 心の風景)

 大正から昭和年間にかけて、青梅線沿線には多摩川の砂利を運搬する鉄道がいくつか敷設された。下に導水管が埋設されている直線の道で知られる「羽村山口軽便鉄道」は、貯水池建設のため、多摩川からの砂利運搬にも使用された。羽村堰の南東から福生駅までの「青梅線福生河原支線」も、当時の路線が現在ほぼそのまま一般道として残っている。また、あまり路線の名残が認められないものの、他にも、多摩川緑地福生かに坂公園と福生駅を結ぶ鉄道、羽村市の小作浄水場と小作駅を結ぶ路線、青梅市総合体育館と河辺駅を結ぶ鉄道、多摩川緑地福生南公園と拝島駅を結ぶ鉄道などいくつかあった。
●青梅線福生河原支線跡
 その中で今回は「青梅線福生河原支線」跡を福生駅から辿ろう。福生駅西口前の道を北西へ進むと、本六公園の前を通る道が分岐する。この道がかつての鉄道跡だ。本六公園沿いでは弧を描いて西方に向きを変える。道は新奥多摩街道付近で一旦途切れるが、再び現れ、福生市立第四小学校の南側を真直ぐ多摩川方向に向かう。やがて奥多摩街道を越えると直ぐ加美上水橋で玉川上水を渡る。この橋はかつては鉄道が通った鉄橋であった。橋には福生河原支線の歴史が掲示されている。橋を過ぎると、道は再び弧を描いて北西に向きを変え、土手の上を進む。間もなく正面に現れる福生市市営競技場あたりが、かつて砂利を積み込んだ場所である。
 青梅線福生河原支線は昭和2年、大正天皇の陵墓造営に必要な砂利を運搬するために敷設された1.8㎞の鉄道。1日に2回電気機関車が4、5輌の貨車を引いて通った。その時間帯以外は地域の人が歩行に利用していたという。砂利運搬停止は昭和34年、線路撤去が昭和36年なので、子供の頃、線路上を歩いた、という思い出をお持ちの方も多いのではないか。

青梅線福生河原支線跡

青梅線福生河原支線跡

昭和27年発行、国土地理院2万5千分の1地図((この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷謙二氏)により作成したものです)

昭和27年発行、国土地理院2万5千分の1地図(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷謙二氏)により作成したものです)


●玉川上水旧堀跡
 河原支線が渡る玉川上水は、初期の開削から数十年後に新に掘り直された部分である。江戸時代初め(承応2年(1653年))に開削された玉川上水は、この周辺では多摩川の出水により、しばしば土手が崩壊した。そのため、元文5年(1740)に流路が東方に変更された。それ以前の玉川上水の堀が多摩川緑地福生上水公園内に600m程、「旧堀跡」として現存している。多摩川側の土手は崩壊して残っていないが、反対側の土手や堀敷部分が今も確認できる。こちらにも、掲示板が立っている。
玉川上水旧堀跡

玉川上水旧堀跡