今も愛される裏宿七兵衛(青梅市)

2017年1月13日 (街歩き 心の風景)

 江戸時代に青梅の裏宿に住んでいた義賊、裏宿七兵衛。今も広く愛されている。青梅宿の数ヶ所に七兵衛を伝える場所がある。新春の七福神巡りの時にでも寄ってみては如何か。
●七兵衛公園
 七兵衛の屋敷跡と伝わる。ここに家を建てたり、畑を作ったりすると、事故があったり、病人が出たりと凶事が続いた。ついに、誰も住み着かなくなり、長らく空地となっていた。
●七兵衛地蔵尊
 大正5年頃、ここに西多摩郡役所を建設した。当時、度重なる凶事が生じていた。実はここは七兵衛の畑があった場所。困りぬいた揚句、地元の有志で供養し、地蔵尊が建てられた。
 七兵衛公園の場所も、ここも、悪いことが続いたので、七兵衛の祟りに違いない、七兵衛の土地であったのだろう、というのが真相、という説もある。
●七兵衛通り
 青梅街道のひとつ北の路地に名前を付けるとき、土地の人に愛されている七兵衛の名を付けた。七兵衛地蔵尊と七兵衛公園を結ぶ最短の道にあたる。
●大柳(おおやな)河原
 青梅に伝わる話では、捕らえられた七兵衛は大柳河原で打ち首になったとされる。七兵衛が実在の人物であることが明確になった『谷合見聞録』には、元文4年(1739年)10月4日付けで、村山三ツ木にて裏宿七兵衛らが捕えられ、繩付きにて村預かりとなった、とある。また、同年11月25日付けで、「籠屋」(牢屋のことか?)にて首を刎ねられ、首は青梅に送られ、笹ノ門で獄門にかけられた、とある。大柳河原での打ち首の話は、作られたもののようだ。谷合氏見聞録は、昭和26年に谷合家(かつての二俣尾村名主)から発見されたものである。
●笹ノ門(かど)
 打ち首になった七兵衛の首は「笹ノ門」に晒された。笹ノ門は青梅宿の入口で、別当沢を渡す石橋があり、黒門とも呼ばれ、御嶽神社の一の鳥居があったところ、といわれる。
●別当沢(笹川)
 青梅に伝わる話では、「笹ノ門に晒された首は、一夜大雨があり、別当沢を伝って近くの宗建寺に流れ着き、それを当時の和尚が手厚く葬った」、とされる。が、宗建寺の住職がこれを憐れみ、密かに笹ノ門から寺に移して埋葬した、というのが真相ではないか、ともいわれる。
●裏宿七兵衛の墓(宗建寺)
 今なお、墓参者が絶えない。マラソンランナーなどが良く訪れるといわれる。宗建寺の過去帳に「五月三日 法山祖幢信士 年号不知 裏宿人也 俗名七兵衛 由来不可尋 永々回向可致者也」とあり、谷合氏見聞録発見以前は、これが唯一、七兵衛が記述されたものであった。

裏宿七兵衛の話が伝わる場所と青梅七福神